2009年04月13日

赤壁

レッドクリフが公開されてますな。
さて、三國志というのは…西遊記、封神演技と共に日本でも中国でも人気の小説らしいですね。

時は、周。大国、殷の時代が終わろうとした時代。武王は兄であり優れた政治家であり軍師の才もある周公坦と、策略家で釣りの名人でもあった姜子牙(太公望)と共に周を創った。
戦が終わり、周公坦は自ら納める地を都から遠ざけた。
後に、国土を9つの省に分け、蛮の民が住む土地(後に楚となり計10の国となる)に旅立つ事となる。

また、姜子牙の治める地は後に周を納めた武王の近親者に攻め込まれ、始皇帝が出てくる泰と対峙する斉となる。また、始皇帝退き泰の国力が衰えると、曹操が台頭し「魏」を創った。
また、楚族が春秋時代において周へと攻める時に台頭した「呉」は南を中心に国家として存在する事になる。

魏が呉へと進行した時に義勇軍を決起した劉備は諸葛公明を参謀にし呉より「蜀」を造り出す。

これが世に言う三国志の流れである。



また、蜀の王、劉備は赤壁の戦いの後に、呉の孫権に裏切られる。
呉の孫権は諸葛亮が死後、魏の曹操こそが泰の流れを汲み蜀の首謀者の首を土産にする事で呉の平穏は守られると考えたのだった。

劉備は無念のうちにこの世を去ることになり、諸葛公明の子孫も歴史の表からしばらく姿を消すことになる。

余談だが「三国志演技」の中では劉備の無念を曹操が受け継ぎ国を建て直し、孫権と戦うことになるのだが、正史と大きく異なる。

異なるついでに…この楚族を元に作られた呉の国の王である。
呉の王孫権は老年になると訳のわからん神を信仰する事になり、一説には泰の始皇帝が成し遂げられなかった不老不死の妙薬を探すために多くの兵を蓬莱(沖縄、台湾…あるいは日本を指す)へと出兵する。



…歴史とは妙である。


ちなみに、レッドクリフという映画は「三国志演技」を基に作られているため、封神演技、西遊記などと同じように歴史英雄奇潭とも言えます。

…封神演技を映画化したらカオスになるんでしょうね…。


同じカテゴリー(世事)の記事
基地問題
基地問題(2010-05-28 22:43)

検視について
検視について(2010-02-19 17:02)

三線、引きて。
三線、引きて。(2007-09-19 22:39)

2007 謹賀新年
2007 謹賀新年(2007-01-01 18:22)


Posted by Rune at 01:06│Comments(0)世事
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。